対話空間_失われた他者を求めて

このブログは、思想・哲学に興味を持ち、読書会活動をしている者たちが運営しています。各々が自由に記事を投稿し、自由に対話をすることを目的としたブログです。どなたでも思いのままにご意見下さい。【読書会の参加者随時募集中。詳しくは募集記事をご覧ください】

2015-01-01から1年間の記事一覧

好きの反対は嫌いか?それとも無関心か?

常識的に言って、好きの反対は嫌いである。しかし、それを否定するような、ある広く知られた格言がある。 『The opposite of love is not hate, it’s indifference.』 (訳:愛の反対は憎しみではなく、無関心なのです。) これは、日本ではマザー・テレサの…

ネタバレを避ける者とそれに無頓着な者との相違について

先の読書会において、作品のネタバレの話題が盛り上がった。ネタバレというのはネットで主に使われ、現在では日常でも使用されはじめた俗語であるが、物語のとりわけ核心的な筋を、これから観たり読んだりしようとしている者が何らかのきっかけで知るという…

知覚の現象学と芸術への問い

<遅ればせながら、僕も読書会の総括文を投稿させて頂きます。> 読書会にて一年以上親しんできたメルロー=ポンティの『知覚の現象学』を振り返ってみれば、僕がそこから受けた影響はあまりにも絶大であり、この著書によって世界の見方が変わってしまったと…

ぼくらはみんな生きてる。生きているから歌うんだ。

読書会の発端について このブログは、昨春に立ち上げられた読書会の参加者複数人によって運営されています。僕はその会の発起人のひとりです。発起人のひとりと述べたのは、この会は、もっぱら誰かひとりの意志によって立ち上げられたというわけではなく、三…

「からだことば」と知覚の現象学

「からだことば」とは、例えば「頭が痛いことだ」、「胸が張り裂けそう」、「腰を据えてかかる」、「消化できない」などといったように、身体の状態を語る言葉で心の状態を表現するものである。英語でもこうした表現はあると思うが、日本語には特に多い。そ…

知覚の現象学と無の存在論

メルロー=ポンティとサルトル 『知覚の現象学』は1945年、サルトルの『存在と無』(1943年)を追うように刊行された。この記事では、両者を対照させながら『知覚の現象学』について論じていきたい。 まず大づかみに、『知覚の現象学』を母性的、『存在と無…

同情と共感

このブログ上では最近、「人工知能」についてのコメントが行き交っており、私も興味深くそれを読んでいるが、ここではもっと身近な人間的事象である同情と共感について私の思っていることを述べたい。 手元にある国語辞典で調べてみると、同情とは「①他人の…

電子書籍の物足りなさについて

<電子書籍端末を購入した> 先日、初めて電子書籍専用リーダーを購入した。Amazon社が提供するkindleである。 それまで僕は幾度か大型書店で並べられている電子書籍端末を、何気なく見たり触れたりしたことがあった。それからまた、眠れない寝床で、…

人工知能は意識を持つか?

「2045年問題」というものをご存じだろうか。コンピュータの知能が人間を超える時点(これを「技術的特異点」と呼ぶ)が2045年くらいには訪れるだろうという問題であり、カーツワイルをはじめとする一部の技術者、研究者の間では十分に予測される事態だと考…

elewhon

コンピュータは人間の知性を超えるだろうか? この不安は遠く産業革命のころから表明されており、思考プロセスの外部化に対する本能的な嫌悪に基づいているのではないかとさえ思われる。風刺小説『エレホン』のなかでサミュエル・バトラーは、機械文明を排除…

いじめの問題を考える

いじめの問題の変遷 いじめという事象は昔からあった。おそらく人類の出現以来、世界のどこにでもあったのではないかと思う。しかしそれが社会問題として注目されるようになったのは、1980年代以後である。1985年にはいじめ自殺が相次ぎ、その年だけで14件も…

こころと脳の問題

こころとは何か、こころはどのようにして生まれてくるのか。これは哲学の諸問題の中でも、ひときわ多くの哲学者を悩ませ続けてきた難問であり、現在でも盛んに議論されているテーマだ。僕自身もこの問題に強く関心があり、一度記事を書いてみたいと思った次…

『知覚の現象学』の概括──生きられた世界の開示

本文は初め、murakamiさんの記事、「わかりにくさの陥穽」へのコメント返信として書かれたものです。ですが、少々長くなってしまったので、ひとつの記事にすることにしました。これを読む前に「わかりにくさの陥穽」、また出来ればそのコメント欄も含めて参…

わかりにくさの陥穽

今、読書会ではメルロ=ポンティの『知覚の現象学』を読んでいます。この記事は私の現時点での、『知覚の現象学』の大まかな見通しです。やや挑発的な文章になってしまいましたが、これを機に本書について議論が深まれば幸いです。 『知覚の現象学』は「難解…

「価値観は人それぞれ」という言葉について

「価値観は人それぞれ」という言葉をよく耳にする。人それぞれに個性があり、様々な考え方があるのだから、それをお互いに尊重し合いましょう、というような意味で正論めいて使われることがある。確かに僕も、この言葉自体が間違っているとは思わない。だが…

解離―現代を読み解くキーワード

私はずっと大阪府の公立高校の教師をし、退職後現在は高校の非常勤講師をしている。退職するまでは高校で主に教育相談係を担当し、相談室で生徒を対象にカウンセリングをしてきた。(今は一般の人を対象に時々病院でカウンセリングをしている。)そのため、…

他者理解の問題を考える

他者理解のアポリア 他者理解の問題を考えるときに、自己意識から出発してしまうと、「他者」は単なる私の意識による表象ということになる。こう考えれば、他者は私の思惟のなかに閉じ込められ、私の外部に存在しなくなってしまう。こういった独我論を避けよ…