対話空間_失われた他者を求めて

このブログは、思想・哲学に興味を持ち、読書会活動をしている者たちが運営しています。各々が自由に記事を投稿し、自由に対話をすることを目的としたブログです。どなたでも思いのままにご意見下さい。【読書会の参加者随時募集中。詳しくは募集記事をご覧ください】

心脳問題―不毛にして厄介な問題(分割投稿part6)

※part1~5はこちら dialogue-space.hatenablog.com dialogue-space.hatenablog.com dialogue-space.hatenablog.com dialogue-space.hatenablog.com dialogue-space.hatenablog.com <第二章 心と有視点性 の続きから> (2)状況把握について (ⅲ)状況把握と…

心脳問題―不毛にして厄介な問題(分割投稿part5)

※part1~part4はこちら dialogue-space.hatenablog.com dialogue-space.hatenablog.com dialogue-space.hatenablog.com dialogue-space.hatenablog.com <第二章 心と有視点性 の続きから> (2)状況把握について (ⅱ) 他者の感覚について 以上の分析を踏まえ…

心脳問題―不毛にして厄介な問題(分割投稿part4)

※part1~part3はこちら dialogue-space.hatenablog.com dialogue-space.hatenablog.com dialogue-space.hatenablog.com <第二章 心と有視点性 の続きから> (2)状況把握について ここまで見てきたように、質感的なものを含めた諸事物の相貌とは、その都度の…

心脳問題―不毛にして厄介な問題(分割投稿part3訂正版)

part3 をほんの一部訂正したので、再投稿しておきます。ほとんど変わっていないので、以前のを読まれた方はスルーしていただいて問題ないと思います。 ※part1, part2はこちら dialogue-space.hatenablog.com dialogue-space.hatenablog.com 第二章 心と有視…

日本神話の起爆剤 モーセの六戒からのアプローチ

・日本神話の“起爆剤”~モーセの“6戒”からのアプローチ~ はじめに1. あなたは、わたしのほかに、神としてはならない。2. あなたは、自分のために、刻んだ像を作ってはならない。3. あなたは、あなたの神である主の名を、みだりに唱えてはならない。4. …

アキレスは亀に追いつけない?〜無限と世界の解釈〜

今からおよそ2400年ほど前、南イタリアのエレアという古代ギリシアの植民市にゼノンという哲学者がいて、彼は義父であり、学問の師匠であり、また愛人でもあった(当時男色は珍しいことではなかった)パルメニデスの哲学上の論戦を擁護する際にいくつか…

心脳問題―不毛にして厄介な問題(分割投稿part3)

訂正版を再投稿しました。 dialogue-space.hatenablog.com ※part1, part2はこちら dialogue-space.hatenablog.com dialogue-space.hatenablog.com 第二章 心と<その都度>性 科学的認識の努力は、客体的事物としての物質とその連関仕方とを発見するわけだが…

ポリフォニーの世界(前編その3)

その1とその2の記事はこちら ポリフォニーの世界(前編その1) - 対話空間_失われた他者を求めて ポリフォニーの世界(前編その2) - 対話空間_失われた他者を求めて 前回のおさらい 私たちは、有視点把握と無視点把握という二つの世界把握の様態を携…

ポリフォニーの世界(前編その2)

前回の記事はこちら dialogue-space.hatenablog.com 前回のおさらい 多くの人が想定してしまう意識の繭(まゆ)とはどのようなものだったか。それは外界と隔絶された、私に閉じられた意識であった。それは繭の外界にある物それ自体が表象する場所であった。…

ポリフォニーの世界(前編その1)

序 先日、『心という難問 空間・身体・意味』(野矢茂樹著)という昨年出版されたばかりの新しい本を読み終え、その内容に感銘を受けた。この感銘を動機としてこの記事を書いてみようと思う。 本記事の内容であるが、まず野矢氏の主張を紹介し(前編)、その…

心脳問題―不毛にして厄介な問題(分割投稿part2)

※part1はこちら dialogue-space.hatenablog.com <第一章 自然科学と心 の続きから> (2)機能主義 (ⅰ)機能主義における心の定義について ところで、心的なものを脳の物理的機能へと還元するような発想法は、心の哲学(philosophy of mind)や認知科学、またAI…

心脳問題―不毛にして厄介な問題(分割投稿part1)

※この記事は現在執筆中のため未完結です。かなり長くなる予定なので、続きを書け次第分割投稿していきたいと思います。(挫折する可能性あり) 心脳問題とは、「心と脳との関係は?」というきわめてシンプルな問題だ。けれども、哲学者の中には、哲学史上最…

「流れる時間」という壮大な錯覚

科学の発達した現代において、占い師や宗教家たちの予言を信じる者に対し冷ややかな目を向ける者は少なくないだろう。わたしもそのひとりである。 もっとも、予言を信じると言っても彼女たち(女に多いのでこの代名詞を用いる)がごく軽い気持ちで、例えば神…

人工知能と心

人工知能の未来 最近の人工知能の開発は驚異的だ。今年の3月、囲碁でスーパーコンピュータのアルファ碁が世界のトッププロに勝ったというニュースは、囲碁愛好家の私にとって衝撃的であった。10年程前に将棋のプロがコンピュータと対戦して破れたことが話題…

奇跡ということ

ずっと不思議に思ってきたこと 「不思議だなあ」って思うことはたくさんある。その中で僕が高校の頃からずっと、特に不思議に思ってきたことを二つ紹介したい。その一つは、「宇宙が有限であるならばその外があるはずだ。宇宙の外はどうなっているのだろう」…

人工知能が意識を持つとしたら?

この記事の目的は、このブログ上でなされたuedaさんとkuboさんの議論について、ハイデガー的視点からの総括を試みることです。 私は同じ読書会の一員として、uedaさんとkuboさんの議論の帰結を残念に思います。けれども、二人の議論の過程を尊重し、その結末…

人間は意識を持つか?

「人工知能は意識を持つか?」と問われれば、私は(この問いがカテゴリーミステイクであるかどうかはともかく)「もちろんない」と答えるだろう。ただし、それは「人工知能」を「人間」に置き換えても同じように答えるであろうという意味で、ということを断…

人間力という言葉に抱く嫌悪感について

人間力という言葉が嫌いだ。 何故ならこの言葉は独善的である。人間とはかくあらねばならぬという無神経な押し付けである。悪いことに、この言葉の使用者たちはそれと意識することなしにこの暴力的な押し付けを行なっている。無自覚な分タチが悪いといえる。…

清原和博氏のセカンドキャリアについて

私は野球にあまり関心がない。「清原」の名前も聞いたことはあったが詳しいことは何も知らなかった。しかし、覚せい剤所持の現行犯として逮捕されたのち、そのセカンドキャリアと薬物依存の関係をめぐるいくつかの報道に接するうちに、とても他人ごとではい…

なぜ旅行したいか

<モロッコのカスバ街道にて> 先月の4週間日本を離れスペイン、ポルトガル、モロッコを旅してきた。これを書いているのは帰国して一週間ほど経った頃だが日本の落ち着いた生活をしみじみと有り難く感じている。 行った所を時系列順に述べると、スペインは…

アニメ『響け!ユーフォニアム』の魅力について―感想と考察

最近、ある友人からの薦めで、一年ほど前に放映されたTVアニメ『響け!ユーフォニアム』を観た。このアニメは、高校の吹奏楽部を題材にしたいわゆる部活ものなのだが、これが想像していた以上に新鮮で素晴らしく、色々と思うところのある作品だったので、今…

死へ臨む不安

肺がんの告知を受けて 僕が肺がんと診断されたのは昨年の10月8日であった。職場での胸部のX線検診で再検査を言われたのが3年程前である。そのときは異常なしであったが、その後何回か再検査をして胸部のCTも受け、昨年の9月に肺がんの疑いがあると言われた。…

清原和博氏の逮捕について

最近世間を賑わせた話題といえば、元プロ野球選手の清原和博氏が覚せい剤所持の現行犯で逮捕されたことである。 周知の通り、覚せい剤はその使用者の心身を蝕み、社会的な死をもたらす。人は悲惨な将来が待ち受けていることをおそらく頭では理解していながら…

好きの反対は嫌いか?それとも無関心か?

常識的に言って、好きの反対は嫌いである。しかし、それを否定するような、ある広く知られた格言がある。 『The opposite of love is not hate, it’s indifference.』 (訳:愛の反対は憎しみではなく、無関心なのです。) これは、日本ではマザー・テレサの…

ネタバレを避ける者とそれに無頓着な者との相違について

先の読書会において、作品のネタバレの話題が盛り上がった。ネタバレというのはネットで主に使われ、現在では日常でも使用されはじめた俗語であるが、物語のとりわけ核心的な筋を、これから観たり読んだりしようとしている者が何らかのきっかけで知るという…

知覚の現象学と芸術への問い

<遅ればせながら、僕も読書会の総括文を投稿させて頂きます。> 読書会にて一年以上親しんできたメルロー=ポンティの『知覚の現象学』を振り返ってみれば、僕がそこから受けた影響はあまりにも絶大であり、この著書によって世界の見方が変わってしまったと…

ぼくらはみんな生きてる。生きているから歌うんだ。

読書会の発端について このブログは、昨春に立ち上げられた読書会の参加者複数人によって運営されています。僕はその会の発起人のひとりです。発起人のひとりと述べたのは、この会は、もっぱら誰かひとりの意志によって立ち上げられたというわけではなく、三…

「からだことば」と知覚の現象学

「からだことば」とは、例えば「頭が痛いことだ」、「胸が張り裂けそう」、「腰を据えてかかる」、「消化できない」などといったように、身体の状態を語る言葉で心の状態を表現するものである。英語でもこうした表現はあると思うが、日本語には特に多い。そ…

知覚の現象学と無の存在論

メルロー=ポンティとサルトル 『知覚の現象学』は1945年、サルトルの『存在と無』(1943年)を追うように刊行された。この記事では、両者を対照させながら『知覚の現象学』について論じていきたい。 まず大づかみに、『知覚の現象学』を母性的、『存在と無…

同情と共感

このブログ上では最近、「人工知能」についてのコメントが行き交っており、私も興味深くそれを読んでいるが、ここではもっと身近な人間的事象である同情と共感について私の思っていることを述べたい。 手元にある国語辞典で調べてみると、同情とは「①他人の…