対話空間_失われた他者を求めて

このブログは、思想・哲学に興味を持ち、読書会活動をしている者たちが運営しています。各々が自由に記事を投稿し、自由に対話をすることを目的としたブログです。どなたでも思いのままにご意見下さい。【読書会の参加者随時募集中。詳しくは募集記事をご覧ください】

電子書籍の物足りなさについて

<電子書籍端末を購入した> 先日、初めて電子書籍専用リーダーを購入した。Amazon社が提供するkindleである。 それまで僕は幾度か大型書店で並べられている電子書籍端末を、何気なく見たり触れたりしたことがあった。それからまた、眠れない寝床で、…

人工知能は意識を持つか?

「2045年問題」というものをご存じだろうか。コンピュータの知能が人間を超える時点(これを「技術的特異点」と呼ぶ)が2045年くらいには訪れるだろうという問題であり、カーツワイルをはじめとする一部の技術者、研究者の間では十分に予測される事態だと考…

elewhon

コンピュータは人間の知性を超えるだろうか? この不安は遠く産業革命のころから表明されており、思考プロセスの外部化に対する本能的な嫌悪に基づいているのではないかとさえ思われる。風刺小説『エレホン』のなかでサミュエル・バトラーは、機械文明を排除…

いじめの問題を考える

いじめの問題の変遷 いじめという事象は昔からあった。おそらく人類の出現以来、世界のどこにでもあったのではないかと思う。しかしそれが社会問題として注目されるようになったのは、1980年代以後である。1985年にはいじめ自殺が相次ぎ、その年だけで14件も…

こころと脳の問題

こころとは何か、こころはどのようにして生まれてくるのか。これは哲学の諸問題の中でも、ひときわ多くの哲学者を悩ませ続けてきた難問であり、現在でも盛んに議論されているテーマだ。僕自身もこの問題に強く関心があり、一度記事を書いてみたいと思った次…

『知覚の現象学』の概括──生きられた世界の開示

本文は初め、murakamiさんの記事、「わかりにくさの陥穽」へのコメント返信として書かれたものです。ですが、少々長くなってしまったので、ひとつの記事にすることにしました。これを読む前に「わかりにくさの陥穽」、また出来ればそのコメント欄も含めて参…

わかりにくさの陥穽

今、読書会ではメルロ=ポンティの『知覚の現象学』を読んでいます。この記事は私の現時点での、『知覚の現象学』の大まかな見通しです。やや挑発的な文章になってしまいましたが、これを機に本書について議論が深まれば幸いです。 『知覚の現象学』は「難解…

「価値観は人それぞれ」という言葉について

「価値観は人それぞれ」という言葉をよく耳にする。人それぞれに個性があり、様々な考え方があるのだから、それをお互いに尊重し合いましょう、というような意味で正論めいて使われることがある。確かに僕も、この言葉自体が間違っているとは思わない。だが…

解離―現代を読み解くキーワード

私はずっと大阪府の公立高校の教師をし、退職後現在は高校の非常勤講師をしている。退職するまでは高校で主に教育相談係を担当し、相談室で生徒を対象にカウンセリングをしてきた。(今は一般の人を対象に時々病院でカウンセリングをしている。)そのため、…

他者理解の問題を考える

他者理解のアポリア 他者理解の問題を考えるときに、自己意識から出発してしまうと、「他者」は単なる私の意識による表象ということになる。こう考えれば、他者は私の思惟のなかに閉じ込められ、私の外部に存在しなくなってしまう。こういった独我論を避けよ…